新世界セッション

日記とか、色々。

ぼくは頭の中に宇宙が広がるのを感じた

 

 

それは今日、唐突にやってきた、とても衝撃的な体験だった。

 

 

 

 

人間の生存本能は馬鹿に出来ないな、と絶望しながら嬉しく思う。

昨夜はあんなに終わろうとしていたのに、今ではトランペットに心酔している。

 

わたしは夜が怖い。

「こんなに頑張っているのにどうして誰も物理的に隣に居ないのだろう」と思ってしまう。不思議なことに朝になるとすっと安心して眠れるのだけど、やはり夜は怖い。

昨日は酒でも誤魔化せなくて、正直飛ぼうとした。逆さまに見た星も濃紺も街明かりも、あまりにも綺麗だったから、そのまま終われると感動さえ覚えた。

 

恋人さんから通話がかかってきて、迷った末に出た。ぐだぐだ傷つけてしまったのは本当にわたしの落ち度なのだけれど、そのぶん彼を甘やかす達人になろうと思っている。

 

〝僕はずっとあなたの味方ですよ〟

 

そう言われた瞬間、久々に声を上げて泣いた。色んなことを思いながら、何度もごめんなさいとつぶやいて。

恋人さんによると、人間は緊張していると泣けないらしい。なるほど、と僕は思った。

 

僕は、泣きたかっただけなのかもしれない。

そして僕は、わたしは、そのことばを次の日になっても忘れることはなかった。

 

 

 

 

恋人さんが寝たのを確認してから、なんとなく「響け!ユーフォニアム」が観たくなった。

 

以前観たときは自殺行為そのもので、でも今回は違った。過去を悼みながら観ていた。

どうして忘れていたのだろう、そんな記憶の連続だった。

 

当時寄り添えなかった親友は、オーボエをまだ好きでいられているのだろうか。知っている時期は、すっかり遠ざかっていたけれど。楽器自体が繊細すぎて価格は凄いし、自費で買うのは大変だよなあ。

 

わたしは彼女のオーボエが好きで、そして彼女は僕のトランペットが好きだった。互いのことも。

わたしは吹奏楽が好きで、だからどんなことがあっても続けていたし、いい意味でまだ諦められずにいる。

わたしにとってトランペットとの出会いは心臓が息を吹いた瞬間で、はじめての居場所だった、存在証明でもあった。

わたしはトランペットでなら、風になってどこまでも行けた。世界の外まで行けた。

わたしはトランペットでなら、どこまでも飛べていた。

 

そんなことを、思い出していた。

 

 

 

 

堪らなく吹きたくて、でも、怖い。何故だろう。自分の粗探しを始めてしまうから?自分の音が嫌いだから?

そう考えたとき、ふとこの間あるひとに自分が言ったことばを思い出した。

 

〝自分のいちばん近くにあって、苦しくても好きで、発散できるものでもあって、居場所でもあって。そういう本当に好きなものなら尚更、誰に何を言われても、自分だけは否定しちゃいけないよ。抱き締めてあげて。わからなくなったら、私が抱き締めるから〟

 

完全にブーメランである。

しかしやはり怖いものは怖い。「この」吹きたいという衝動が消えないうちにと、支度をしていても、怖い。

ふと、恋人さんのことばを思い出した。ずっとあなたの味方ですよ、という。

 

もし、もし僕が自分の音でさえも聞くに耐えないと思ったとしても、僕が僕を受け入れられなくとも、きっとこのひとは受け入れてくれるのではないか。

そう思うと少し楽しみになってきた。僕が、何を感じるのか。

 

 

 

 

川原に着いてから、軽く音出しをした。

俺の音を聴け!と思いながら音を響かせるのはこんなにも難しかったんだなと、過去の自分に感動するなどもした。

曲は、「オーディナリー・マーチ」から始まって、「ふるさと」を吹いたときにちょうど雨が降って中止になった。

世界とリンクする感覚は掴めなかったし、音などを意識すると、俺の音を聴け!が薄れてしまう。けれど、今のわたしにあったのは、それ以外の、もっと暖かいなにかでもあった気がした。

 

色々と感覚的に掴めないし、出来ることも出来なくなっている。それが楽しい。

ああ、また「こういうふうに」好きになれた。

今日はそれだけで大収穫だと思った。

 

ラーメンを食べて帰宅した後、安心したのかぐっすり眠ってしまった。

 

 

 

 

起きてから、同じく寝不足であろう恋人さんと、吹奏楽のことを真っ先に考えた。

とりあえず恋人さんと通話したところ、なんと風邪っぽいらしい。困るので早く回復して欲しい。某ウイルスでないことを願うのみだ。看病できる距離ならば、すぐに駆けつけられるのに。

 

恋人さんとの通話で、わたしは半ば上の空でもあった。トランペットのことが、吹奏楽のことが離れなかった。夜の11時。今からやれるのは基礎体力作り、何がやれることは、と。

 

あれだけ夜が怖かったのに、いや、今でも怖いけれど、そんな地中海での航海を、どこか楽しんでいるわたしがいた。

今日はもう寝ようと思う、と恋人さんが言うので、僕は大事をとってもらうためにも自分のためにも(笑)、それをお願いした。

「寂しくさせてごめんね」と言う彼に、僕は反射的にこう言っていた。

 

「いや、意外なことに全く寂しくないんだよね」

「いや少しは寂しくなってよ!?」

 

ごめんね。結果としては意外と寂しかった。だけどそれも、楽しい。

 

 

 

 

わたしは今やれるメニューを考えた。

呼吸法→筋弛緩法→呼吸法→体幹ストレッチ→筋トレ→呼吸法

1時間半弱、ノートにあれこれ書きながら行った。こんなふうに基礎を楽しめるのが醍醐味なのだ、嬉しくて仕方がなかった。

 

それは体幹ストレッチをしているときだった。

楽器を吹いている訳では無いのに、不意に訪れたのだ。

 

 

頭の中に、宇宙が広がった。それは止まらなかった。

 

 

これはなに、表象幻視とかそんなレベルじゃない。

全てが一体化した瞬間に、それは強く起こる。全身が、もっと大きな何かが、忘れてはいけないと叫んでいる。わたしは泣きながら、ノートにもTwitterにも書き込んだのだった。

 

 

 

 

1時間半弱。

残念ながら筋トレは特にぼろぼろだった。なにしろ、腕立て伏せの記録が2回。

あれだけやっていたのに!

 

けれど、明日やることもまだ掴みたいことも沢山あって、それがうれしくてたまらなかった。

入浴はゆっくり行おう、明日は確実に筋肉痛だから。そんな配慮は出来ても、ヤニカスなのは変わらないらしく、トランペットのために喫煙量を減らした方が……と考えたが、それは別問題ということになってしまった。

 

 

 

 

トランスしているなあ、と思う。それから、その裏には耐え難いほどの恐怖がある。

 

〝もしまた、「こういうふうに」吹けなくなったら〟

 

そんな恐怖に駆られつつ、このブログを湯船に浸かりながら書いている。風呂場には、東京佼成ウインドオーケストラのアルバム「指輪物語」が響いている。

 

 

それに、相変わらず夜が怖い。けれど、なんだか安心もしていた。

 

 

 

 

トランペットが吹けなくて、その屈折し続けた愛の反動は大きすぎた。5年も、自分の心臓に血液が届かなかった。つまり心酔できなかったのだ。

まあ、心酔できないのも当たり前の話なのだけれど。出会った時に、運命は決まっていた。

 

だからあらゆる創作的なことに手をつけた、どれにも心酔できなくて苦しかった。けれどそれらは、今でも変わらず大事な居場所でもあって、なくなっては困るものだ。

 

例えるなら、トランペットが心臓で、執筆等は息をすることに似ている。

 

 

相変わらず、色々なことが怖い。怖くて怖くて堪らない。けれど、なんだかそれが楽しい。

なにもまちがってなかった。それも事実で、その証明をしているのもうれしい。

 

 

なんならトラウマ治療、PEだって怖くても大丈夫な気がする。こう思ってしまうのだ。

 

 

 

僕は、ぼくは、私は、わたしは、こいつとどこまで心中出来るのだろうか、と。

頭の中の宇宙は、きっと消えないし、広がることをやめないから。