新世界セッション

日記とか、色々。

さよなら4月とノスタルジック

 

 

 

Zemethのアルバム「ROUGE NOIR」を聴きながら、病院に向かっていた。

 

 

自宅を出る前辺りにひとつ気づいたことがあった。最近苦しかった理由のひとつは〝自分が何処にも居ない〟感じがするからなのでは、と。

 

おかしな話だ。

少し前まではあれほど、世界の何処でも無い所に行きたかったのに。いつの間に、そんなに生身の人間らしくなっていたのか。

 

 

 

 

 

 

体調はあまり良くはなかったけれど、景色を見る余裕はあった。

 

コンクリートを踏み締める足の裏の感覚まではわからなかったけれど、空を見上げることもなかったけれど。

道端に捨てられた座椅子を見て「お前光合成しすぎだよ、焼けるよ」と話しかけたり、木々や家々をただ眺めたりしていた。

 

 

 

 

 

 

家か。

どんなひとがどんな風に、そこで暮らしているのだろう。何を思いながら、暮らしているのだろう。

 

なんとなく、ふと。

 

誰しも、何も大人になりたくてなっているわけではないのかもしれない。そう思った。

 

なんだそれ、そしたら、誰しもが、子供でいられないことを悟っていって、そうやって何かを諦めながら大人になっているみたいじゃないか。

僕は〝大人〟というものにいいイメージがない。だからこそ、やるせなくなった。

 

 

僕も、そのひとりなんだろうか。

 

鼻の奥がツンとして、喉がきゅっと狭くなる感覚がした。

喪失を得て、さよならばかりで、そうやって、生きていくのか。そうして空いたものは、空洞はそのままに。

 

 

 

 

 

 

ヘッドホンからは、Zemethのノスタルジックなサウンドが流れていた。

 

 

せめて帰り道は、空を見れたらいいなあ。

 

世界の何処でも無い何かを求めていた僕は、少し大人になってしまったのかもしれない。