新世界セッション

日記とか、色々。

さよならアイデンティティ



特別になりたかった。ずっと。


正直努力などしなくてもジブンは特別になれると盲信していた。人並みの能力はあると思うし人並みに努力はしたけれど、そういうものとは別として〝特別な人間になれる〟と盲信することが希望だった。

少し前のこと。
とある詩人のとある連載で「創作をする人は自分を特別だと思っていた時期がある」「私はそれを馬鹿だとか恥だとかは思わない」という旨の文章を読んで救われた。
特別になりたいならそれ相応の努力と結果を求めるべきだ。何もせずに〝特別な人間になれる〟などと盲信しているジブンがとても嫌いだった。ええ、とても。

最近。
ただの何の変哲もない〝特別な人間になれる〟と盲信しているだけのジブンに〝既に特別だ〟と教えてくれる人との出会いがあった。「アナタもじゅうぶんすぎる程に特別なのに」と思った時、そうかと腑に落ちた。



そもそも人間なんて皆違って皆いいわけで、それはもしかすると全員が違った性質等を持つ特別な人間ということなのではないか。



その途端、ジブンはどうしようもなく安堵したと同時に寂しくなってしまった。〝特別な人間になれる〟と盲信すること、それ自体がジブンの一番のアイデンティティだったのだ。
だからジブンはこれまで〝特別な人間になれる〟要素に徹底的にしがみついてきた。離れられなかった。離そうとしなかった。ずっと、ずっとずっとずっと……、

もういいか。と思った。

全てを手放すわけじゃない。〝特別だと盲信すること〟をやめて〝自分は既に特別だ〟ということを受け入れる。それだけだ。


そうやって少しずつ、子供のままで大人のフリを自然と身に付けていくのだろう。まあそれも悪くないのではないか。

どんな形でも、どんな時も、どんな人間であっても、じゅうぶんすぎるほどに特別なのだから。