新世界セッション

日記とか、色々。

2022.04.25

 

風に包まれる感触を確かめながら歩いた。本当に今は余裕がないんだなあと再認識した。

陽の差し方とか、透き通る緑とか、空の手前のもっと青々とした屋根とか、道端に落ちているクリップとか、下校途中の学生とか、変な模様の街頭とか。そういうものに最近は気づかなかった。以前の自分ならそれらを見て何を思っただろう。

こんなことを書きながら帰宅していたら、道端で思い切りストレッチをしているお兄さんがいた。きっと今からランニングでもするんだろうな。努力の成果が出るといいなと祈った。

 

 

正直、最近の僕は調子に乗っていたと思う。

仕事も人間関係もそれなりに上手くいっていたし、病状も回復に向かっている実感があった。波はあっても昔ほど何も出来なくなることはないし、今なら多少の無理くらいは出来るとどこかで勘違いしていた。社会的にもっと必要とされたいという欲が出た。走りすぎてしまったのだ。

もっと上にいきたいという気持ちから最近は仕事ばかり優先して(まあそんなに働いているわけではないのだけれど)、自分の心身のケアを怠ってしまったり、今までの〝病状を安定させるためのルール〟を守らずに日々を過ごしたりした。正直社会的に生きていたいなら多少の無理は必要だとまだ思っているし、誰だって多少は無理をしているものだという認識は変わらない。

けれど、多くを望みすぎてしまった。多少の無理は全く〝多少〟ではなかったらしい。

 

 

僕には持病……というより障害がある。心身へのストレスが少し面倒な形で現れてしまう。簡単に言うと突然倒れたり、その際意識を失ったり記憶を失ったりする。それをなるべく防ぐ形で生きていかなければいけない。

対人関係においても、社会的な場所においても、それは付き纏う。倒れる予兆がわかれば休めるのだが、予兆もなく脳がシャットダウンしてしまうことが増えた。結果としてこの4月は多方面に多大な迷惑をかけまくることになった。現実は甘くなかった。

 

 

端的に言うと、病状の悪化による戦力外通告一歩手前のような台詞を貰った。当たり前だが、いつ倒れるか分からない人間を雇いたいと思う企業なんてレアなのだ。僕が面接官なら容赦なく落とすだろう。

認めたくなかった。ずっと焦がれていた社会への帰属感が、ずっと焦がれていた〝障害を持っていても働ける自分〟が崩れた。

現実を見るってなんだ、障害者は障害者らしく生きろというのか、まだ機会があるからと今目指しているものを諦めろというのか。あれほど閉鎖病棟の中で泥水を啜ったのに、あれほど治療だけは頑張ってきたのに、欲しいものはやはり手に入らないのか。そんな中でどう生きろというのか。

 

 

「あれほど治療だけは頑張ってきたのに」。そこに答えはあった。それだけだった。最近の僕が、誰よりも自分から目を逸らしていたという事実。周囲に厳しいことを言わせてしまったという罪悪感。いつかまた病状が悪化する日が来るかもしれないと思いながらも、どこかで楽観視していた自分の情けなさ。

 

だからこそ、また、やり方を変えて、足場を組み直して、進むしかない。進むしかないのだ、けれど、どうにも気持ちの整理がつかない。

倒れることは予防できる、けれど100%予防出来るとは限らない。努力して、努力して努力しても、働くということを通して社会的への帰属感を得ることは難しいのかもしれない。というか今諦めれば周りにかける迷惑は減る。下手に挑戦しない方がいいかもしれないなんて気持ちも無いことはない。

 

それでも。

息を吸って吐いているだけで「生きている」というなら、「それだけでいい」というなら、そんなものクソ喰らえだ、僕は社会と繋がっていたい。ほんの少しの肩書きでいい。社会から隔離されていく感覚だけはもう御免だ。

だから、僕は明日からも多少なりとも迷惑をかけながら働くだろう。

 

ーー趣味でも勉強でもなく、働くということに拘るのは、本来誰にでも出来ることを自分がやっているという実感を強く得られるからなのだろうと思う。下手なプライドもクソ喰らえだと言えたら、良いのだろうか。