新世界セッション

日記とか、色々。

勿忘草の墓

 

 

最近、10代の時にお世話になったある人のことをよく思い出す。

 

 

精神科の閉鎖病棟で出会った彼女は、背が高く細身で、よく点滴に繋がれていた。

しかし彼女の歩き方はとても美しく、綺麗で艶やかだった。仕草までもが素敵で、あんな大人になりたいと思いながら目で追いかけることも多かった(当時から私は歩き方にコンプレックスがあり、そういう意味合いでの憧れもとても大きかった)。

 

 

私が入院してから数日が経った頃、彼女と初めて話した。彼女は気さくな人だった。

自己紹介の途中で、彼女は「私忘れっぽいから色々メモするようにしてるの」と言いながら、私の似顔絵や名前、特徴などをメモ帳に記していた。たしかに、彼女はいつもメモ帳とボールペンを右手に持っていた。

 

 

それから彼女と何をしたかといえば、取り留めもない話くらいだと思う。肉じゃがのレシピを教えてもらったり、彼女の恋愛話を聞いたり。テレビがつまらないなんて話をしたり、お菓子を食べたり。時々、つらいことを共有することもあった。それを彼女が記録していたのかはわからない。

 

彼女には退院間際まで本当にお世話になって、「もう戻ってくんじゃないわよ!」とかなんとか最後に言われた気がする。いい人だったな、と思いながら私は彼女より先に退院した。

その日で彼女との関わりは終わるはずだった。精神科病棟での繋がりなんて特殊なもので、退院すれば基本的に関わることはないからだ。

 

 

結局私はその後数ヶ月も経たないうちに再入院をした。4人部屋に入ると、なんと彼女と同じ部屋だった。

「あら、新しい子?はじめまして」

彼女は私を見るとそう言った。一瞬で私の何かが凍ったのを覚えている。彼女はもう、メモ帳を持ち歩いてすらいない様子だった。

 

単純に、入院生活で少し一緒になっただけの相手に会っても、なかなか思い出と一致しないことはよくある。私のこと自体を忘れたのではなく、ただ思い出と噛み合ってないだけなのではないか?そう思いたかった。

 

怖かった。なんとなく彼女がどんな病気を患っているかは知っていた。

それでも、だって、私の似顔絵も名前も、大事なメモ帳にあるはずなのに、こんなに早く。

だって、彼と婚約したのよって、前に嬉しそうに話してくれたのに、だって、どうして。

 

なんで、忘れちゃったの。

 

 

肉じゃがのレシピの話をしても彼女は覚えていないようで、私は彼女に話しかけることが怖くなった。私の中に彼女は居るのに、彼女の中に私は居ないみたいで。

時折男性が彼女の面会に来ていた。そんな日の彼女はとても魅力的だったので、もうそれでいい気もした。納得はしたくなかったけれど、仕方ないと思った。

自然と彼女とは話さなくなった。それからのことはあまり覚えていない。

 

 

まさかそれから数年後の私が、メモ帳を右手に持って歩く彼女と似た立場になるなんて。そんなこと当時は考えもしなかった。

 

今の私は「忘れられること」も知っているけれど「忘れること」も知っている。

どちらが哀しいとか辛いとかではない。いや、辛いといえば辛い。忘れられることも忘れることも、同じくらいに怖い。そして理不尽だ。

 

 

今なら、彼女がどんな気持ちで私の名前や似顔絵を残してくれたのかが少しだけわかる気がする。

たぶん、彼女はメモ帳を見ても私のことを思い出せないだろう。今の私が私の記録を読み返しても思い出せないことが多いように。

記憶として引き出せなくても、少なくとも私には記憶の欠片みたいなものが感覚として残っている。きっと彼女にも、私の存在は残っている。そう思いたい。

 

 

彼女は今しあわせだろうか。

怖くて震えてないといいな。