新世界セッション

日記とか、色々。

死に損ない続けて良かった



今日も今日とて盛大に寝坊した。
タスクをこなした後、今日成人式を迎えている人がいることを知り、この2年弱を振り返ってみた。



20歳まで生きている予定などなかった。そもそも。
10代の私は全てを悪だとみなしていたし、当然自分の味方など居ないと思っていた。ガラス越しの少女を除いて。
当時はある目的のために生きていた。そしてその後死ぬつもりだった。
ある精神科医と出会ってからは少しずつ生きることを視野に入れ始めたけれど、それでも目的もその先の予定も変わらなかった。

20歳を迎えた時は絶望した。何一つ、獲得出来ていなかった。何一つ。
ちからがなければただ息をしているだけの屍に過ぎないことを知った。
だから人一倍努力した、治療に関しては、私のペースではあるが、確かに人一倍努力してきた。今だってそうだ、私はちからが欲しい。ひとりで生きていけるちからが。



その中で少しずつ、世界中が雨ではないことを知っていった。間違いを沢山犯した。それでも優しいひとたちがいることを知った。悪だと見なしていたひとも、もう変わってしまったのだということも、知った。
だからもっと頑張った、私が頑張ることで、少しでもと。傲慢かもしれない。それでもだ。



今日、タスクをいくつかこなしてきた。
その後にふと思ったのだ。私は甘えていないか?と。
ちからを得るために他者のちからを借りている、といえばそれだけなのだけど、途端に怖くなった。

私の生き様は、少しくらい筋が通っているだろうか。

いつも頭から離れない。
筋ってなんだ、筋、筋。私は多少はまともになっているのか、教えて欲しい、どうやってだよ。



私にちからを貸してくれているひとたちは、私に少しでも回復して、自分の人生を生きて欲しいと思ってくれている、と思う。

だとすれば私に出来ることは、私に出来ることをすることだ、私が獲得したいものを獲得出来るちからを得ることだ。
感謝の伝え方は、よく、わからないけど、わかるようになりたい。



申し訳ないな、と思う。情けないとも。
こんなふうにしか生きられないこと、迷惑ばかりかけてきたこと。

でも、死に損ね続けて良かった、と思う。
今は無力だけど、先がある、伸び代もある、きっといつか、優しさをひとに伝えられる人間になれる。

それまで皆に、生きていて欲しい。待っていて欲しい。我儘だろうか、それでも、生きていて欲しい。いつか必ず、いつか、ごめんね、ごめんなさい。