新世界セッション

日記とか、色々。

無題



大切に出来ないくらいなら誰も要らない、と思っていた。
正確に言うなら、自分の心の扉の鍵は渡さずに、二番目に深いところにだけ居てくれたらいいのに、と。
都合よく他者を欲して、あたかも自己開示をしていますよ、なんて振りをしていた。



そういう自己保身が、どれだけ他者を傷つけてきたのだろうか。ふと、そう思った。
だとすれば、私は自分が傷つくことも何かを失うことも何かを傷つけることも、つまり犠牲も何もかも承知の上で、今まで誰にも渡さなかった鍵を渡すことが、自己保身を貫き通すよりよっぽど大事なのではないか。
もちろん、相手を大切にしたいなら最大限大切にする、その覚悟が必要になる。



私はそろそろ、過去の自分と今の自分を切り離してみてもいいのではないか。
確かに許されることではない、私がしてきたことは。
今の私は〝屍の上に立っている〟、そう思っている。

だからといって、今の私は当時の私と同一だろうか。



おそらくそうではないと思う。
相変わらず不器用だし、自分が大好きだし、大切にしたいものを大切にする方法なんてわかっちゃいない。
それでも、それを理由にずっと心の扉を閉じて引きこもっていることが、果たして私に出来る償いだろうか。
そんなものを求めるひとたちであっただろうか、私が踏み台にしてきたひとたちは。


おそらくそうではないと思う、というより、自分が利用してきたひとたちを死ぬまで最大限有効活用すると決めたのだ、私は。
だから、そうだな、そうでないと、思いたい。

許されるとか許されないとか、屍に訊いたところで仕方がない。
返事などもう返ってこないのだ。
ならば、それは私が決めていい。



〝過去の自分が許せないなら許さなくていい。だけど過去の自分と今の自分は違うはず。切り離して考えることも必要だ〟


〝幸せになれ〟



私はこの言葉をくれたひとからのギアスに対し、「そのギアス、確かに受けとった」そう言った。

そう、言ったのだ。



誰かとしあわせになる、ということを、今の私には許してもいいのかもしれない。
事実、今の私を許せないことで、他者を傷つけ続けている。

本当は、私だってもう、大切なひとと、しあわせに、なりたい。


決まりだね。

さよなら、死ぬまで許さないよ。



拝啓 あの頃の私へ